1年間にTRPGを遊んだ回数を数えることに意味があるのだろうか? いやない。
年末年始には、1年間にTRPGを遊んだ回数を数える方々がかなり多いが、はたして数を数えることに意味があるのだろうか? いやない(反語)。
例えば、普通の生活を営んでいれば、食事は1日3食することになる。
その時、1年間に食事をした回数を数えることはしないし、例え数えたとしても、「私は多い」「自分は少ないなぁ」と思いを馳せることはしない。
もし、数えたり、思いを馳せるとすれば、美味しい食事や楽しい食事をした回数や、その内容だろう。
つまり、1年間にTRPGを遊んだ回数を数えるっというのは無意味である。
そう、なんら意味を持たない。
意味がないことは無駄なんだ!
無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄!!
急ごう。
我は皆に徒労を教えねばならぬ。
全ては徒労だと教えねばならぬ。
全てに例外なく教えねばならぬ。
思い上がった1年間にTRPGを遊んだ回数を数える人間にもな。
世にあるものは絶望。
全ての営みは徒労。
全てに徒労をもって教えてやろう。
べっ別に1年間にTRPGを遊んだ回数が多い人が羨ましいとかじゃないんだからね!!